昭和47年見解の読み方

1946(昭和21)年 日本国憲法公布
からずっと、憲法9条の下で我が国の防衛をどうするかが国会で議論され、さまざまな法制が行われてきた。

1950年(昭和25) 治安維持を目的とする「警察予備隊」が創設され、
1954年(昭和29) 「自衛権の存在」を根拠に、自衛隊・防衛庁発足

以来、自衛隊が強力な軍隊になってきたため、憲法9条の下での正当化が難しくなってきた。

1955年(昭和30) 鳩山首相、憲法改正の必要性を説く。
1956年(昭和31) 我が国が攻撃された場合「座して自滅を待つべき」とは考えられない。必要最小限度の措置をとることは自衛の範囲に含まれる。
1961年(昭和36) 自衛隊法の武力攻撃と間接侵略
1967年(昭和42) 自衛力の限界(自衛隊増強の限度)
1970年(昭和45) 自衛権行使の前提となる武力攻撃の発生の時点

憲法9条、自衛権の存在、肥大する自衛隊の在り方について、国会で何度も議論が行われてきた。

そんな中で、昭和47年政府見解が出された。
これは、「憲法改正したい」「9条を守れ」「自衛権、自衛隊の存在容認」など様々な意見がある中でひねり出された一つの見解であると考えられる。

背景をそのようにとらえた時、昭和47年見解を、次のように読むことができる、と思う。

【1】憲法第9条は、戦争放棄、戦力保持を禁止しているが、前文で「生存権」を確認し、また、第13条で「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を定めていることから、(日本国憲法は)自国の存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じていないと解される。」

【2】「しかしながら、自衛の措置を無制限に認めているとは解されないので、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態(=武力攻撃のこと)に対処し、国民の権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。」

【3】「そうだとすれば(=もし【1】【2】の解釈が容認されるとすれば)、
わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる。
したがって(for this reason:わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる、という理由から)
(我が国ではない)他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、
憲法上許されないといわざるを得ない(許されて海外派兵したいけど、残念ながら許されないのよ、アメリカさん)

整理すると、
「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」
が結論で、その理由は、
【1】【2】と【3】の「したがって(for this reason)」の前まで


横畠法制局長官が考え出した47年見解「あてはめ論」は、
【1】自衛権はある。
【2】存立危機事態であれば自衛の措置は容認される。
ところで、今という時代は、
「外国への武力攻撃によっても我が国が存立危機事態になることがある」
だったら、【1】【2】を根拠に、【3】を今の時代に当てはめれば、自衛の措置(武力行使)は容認されるよね
、という考え。

横畠氏のロジックは、
油断すると足を取られそうになるけれど、直感的にも論理的にも納得できないし、
「わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」を突然180度転換するのは暴挙だし、
なにより、過去の戦争の反省から生まれ、武力行使を禁じた平和憲法の精神を全く顧みない論拠であり、
それを失うことは日本の平和を失うことに等しいと思う。


昭和47年のもう一つの変化、なぜこの年に見解を発表する必要があったか・・。:
1972(昭和47)年5月15日 沖縄返還
それ以前の防衛論争では、「専守防衛」が大前提として議論されてきたが、
昭和47年に、米国が「沖縄を返すかわりに、集団的自衛権を行使できるようにしろ」と日本に要請してきたのではないか、
そのため、「集団的自衛権」が突然、検討事項として発生し、
そして政府は、「それ(集団的自衛権)はだめよ」というロジックを生み出し、昭和47年見解で発表したのではないか、と私は思う。

シロウトの考えですけど・・・
1_3.jpg

コメントの投稿

非公開コメント

最新記事
最新コメント
プロフィール

anporonten

Author:anporonten

検索フォーム
月別アーカイブ
アクセス数