自衛目的限定の集団的自衛権なんて通用しない

ガラパゴス日本オリジナルの限定的な集団的自衛権

私の理解は:
友達がナラズモノに、ナイフで刺された(密接国が攻撃受けた)とき、自分が友達に報復用のナイフを渡す。
友達がナラズモノに、からまれた(切迫事態)とき、友達の側に駆けつけて加勢する。
友達がナラズモノに、ガンつけられた(予測事態)とき、友達の後ろに立ってガンを飛ばす。


7月29日の参議院質疑で、次も加わったよ(7月28日、参議院、大塚耕平氏の質疑にて)。
我が国に対する攻撃の意志がない国に対して新三要件があてはまれば、我が国から攻撃する可能性を排除しない(中谷防衛相)
相手が、攻撃の意志があることを隠しているかもしれない。相手の意志は総合判断の要素。(総理)


私の理解:
友達がナラズモノに、やられそうな「予感」がする(予測根拠もない事態)とき、友達といっしょに相手に「先制攻撃」する。

どっちにしても、ナラズモノにだってやられっぱなしじゃない、
こっちにまで報復してくることは容易に想像できるから、私はいやだなぁ。

総理は、「こっちは安全、リスクはない」というけれど・・・、
親分(米国)より子分(日本)が先にたたきのめされる、っていうのは時代劇の定番だよなぁ。

そのうえ、
自衛隊は、「第一線の救護能力向上」として、
「顔面破壊写真、両足切断写真などの資料をもとに
医療関係者が第一線における医療行為の検討を行っている」

というんだからなぁ(7月28日、参議院、大塚耕平氏の質疑にて)。
しかも「医療行為よりも戦闘を優先させることもある」ときた。

さて、余談が長くなったが、ここでは「ニカラグア事件」について書きたい。

集団的自衛権は自国が直接攻撃を受けていないにもかかわらず
自国と密接な関係にある他国に加えられた武力攻撃に対し
自ら武力をもってこれを阻止排除する国際法上の権利だ。

1981年、中南米のニカラグアで社会主義的な革命成立したとき、
アメリカのレーガン政権が軍事介入を行い、ニカラグアの反政府軍に武器支援を行った。
このときアメリカは周辺国(エルサルバドル)支援のための集団的自衛権の行使であると主張した。

しかし実際のところ、周辺国は米国に支援を要請しなかったし
ニカラグアから周辺国への武力攻撃もなかった

米国の攻撃を受けたニカラグアが国際司法裁判所に提訴した結果、
米国の「集団的自衛権」という主張は否定され、米国からニカラグアへの損害賠償が命じられた
(米国は判決に従わず、ニカラグアへの損害賠償もしていない)。

この裁判の判決によって、集団的自衛権の行使条件として、
武力攻撃を受けた国がそのことを自ら宣言することと、
当該国家からの要請があること、

という二要件が必要であると認定された。

米国は、自分が欲しいものが世界に見つかると、
その近くに行って周辺国と友達になって、
その友達が相手から「攻撃された」という状況を作り出し、
その友達から「要請」された、と口実をつくって、
「集団的自衛権の行使」を大義名分に、
欲しいものを取るための戦争、紛争に突入していく。

法案が通れば、米国の利益は日本の利益、そこに日本が従っていくということになる。
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